担当ディレクターの取材ノートより抜粋 ウソかマコトか、三国志伝説紀行 NHK大阪放送局文化部 渡辺 圭 私たちの目の前には、一枚の石板が横たわっていた。 <中略> ところは北京郊外、劉備の生まれ故郷・楼桑村。 劉備を祀る廟の一角。三国志にまつわる遺物である ことは間違いない。正体はなにか?地元の研究家に聞いてみた。「『桃園の誓い』の時、劉備、関羽、 張飛の三人がこの石板の上に立ったと伝えられています」「なるほど」私はお世話になっている研究家が気分を害さないよう相づちを打ちながら、内心叫んだ。「(うっそだ~!?)」日本で言えば、木下藤吉郎 (秀吉)が信長のわらじを懐で温めていた時、ひざ まずいていた縁石が残っているというようなものである。 <中略> 中国で『三国志』の遺物を撮影する。これがなかなか難しい。なにせ一八〇〇年の年月が経っている。 城塞は自然の丘と見分けがつかない土塊と化し、戦場跡にはのどかな畑が広がり、牛が昼寝をしている。 一方で、形が残っている遺物(とされるもの)は、その真偽を疑わざるを得ないものが多い。今日のロ ケでは、前記の石板にはじまり、隠棲時代の若き孔明が使っていた石の井戸(湖北省古隆中)とか、赤壁の戦いの戦勝記念に周瑜が長江河畔の断崖に刻んだという「赤壁」の文字(湖北省赤壁市)などにお目にかかった。 <中略> しかし、そのような伝記的な遺物でも甘く見ては いけない。時として、一八〇〇年という時間の霧のなかに隠された事実を明らかにすることがある。 <中略> たとえば断崖の「赤壁」の文字は、周瑜が彫ったかど うかの真偽はともかく、少なくとも赤壁の戦いの現場を示していたのだ。 <中略> |
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このような例は遺物のみならず、伝記の物語そのものにもある。今回の番組で重要な位置を占めた 「東南の風」である。 <中略> 長江を前に、私が仕事を忘れて感無量にひた っていると、興味深い情報が飛び込んできた。火攻めの際の風向きに、孔明が関与していたことを裏付ける伝承が、地元にあるという。それが番組で紹介した、東南の風が吹くタイミングを 孔明が地元の漁師たちから聞いていたという小説とも正史とも異なる逸話である。小説のように、孔明が呪術で風を吹かせたとなると史実としてのリアリティはないが、風が吹くタイミングを知ったうえで戦術に活かしたとなると話は別だ。戦術家・孔明の新たな姿が見えてくる。 <中略> 結局、私が接してきた史跡や逸話は、中国の人たちの「三国志」への想いの歴史でもあるのだ。私は それに気づいた時、もはや史跡の真贋はどうでもよ くなった。「三国志」の魂を感じるために、わざわざ中国までやってきたのだ。目の前に現出している中国史の懐深さを、ただ堪能する。それを旅の日的とする限り、史実への適合性にこだわるのは野暮というものである。 |
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